「仙童たち 天狗さらいとその予後について」あるいは友人も?という話

失踪とアート、あるいは天狗にさらわれるということについて
失踪とアート、あるいは天狗にさらわれるということについて

「ちょっと明日祭り行ってくる」

 

そう言ったまま3年近くの間。姿を見せず

戻ってきた時には、とある橋の下で暮らしていたとか。

 

つい最近も集いの場に来なかった折には

「あ。こりゃぁしばらくヤツ、帰ってこないんじゃないか?」などと

皆が口々に言うので

本当にどこかに雲隠れてしまったのだろうかと

半分は心配であり、半分は本当のところを知りたいためにドヤを訪ねた。

 

帳場さんもその日は不在だったから

玄関先の靴棚にスリッパが揃えて置いてあるのを確認し

そのまま階段を上がる。

扉はシンとしたまま開かず、ビニール傘がひっそりぶら下がっていた。

 

これはもう3年ほどは会えないのではないだろかと思案した。

 

どうやら天狗と内通しているらしい。

 

遠野では寒い風の烈しく吹きすさぶ日

子ども時代に神隠しにあった娘が

30年の後、ふらりと姿を見せ、すぐまた姿を消した女の話などもあるが

三ノ輪あたりでも、まだこうした事例はあるらしい。

 

 

というのは、先日

ある本の中に「天狗にさらわれた4人の子どもたち」の事例が書かれていて

この4人に共通している点が、知り合いにとても似ているのだ。

 

子ども時代、家・教室の中で所在なさを感じ

あるいは全体の流れに乗ろうとしても、どこか調子っぱずれなはぐれ者。

 

そうだ。

きっと天狗にちがいない。

子ども時代にさらわれ、世の中から隔絶された場所で

天狗から出される宿題などしていたのだ。

 

寒い日、同じように天狗にさらわれてきた子どもらで

おしくらまんじゅうもしたんだろう。

 

姿を消していた3年間のことを

一度だけ真剣に尋ねたことがあった。

 

普段はおしゃべりなその人が

「ふふ」と横を向いて一言も話してくれなかった。

 

それは

天狗との約束を破らないためだったのだ。

 

明日は天狗氏と絵を描く約束をしている。

「ね。天狗?」とつぶやいてみようか

そう考えている。

 

写真絵図は先日その氏が描いた一枚。

 

そもそも天狗は「何を」さらっていったのか。

さらわれたい人も

さらわれたくない人も

そして突如として窓ガラス清掃員のすばらしさに触れる学芸員(非正規雇用)の4月以降や如何に?

 

 

 *栗林 佐知「仙童たち 天狗さらいとその予後について 」を読んで思ったこと。