つめくさのあかり

「賢治さんへ」

これが毎日の日記の書き出しだった。

 

中学時代、宮澤賢治と勝手に交感日記を書いていたのだ。

法華経を唱えていたと読めば

般若心経を唱え(とにかく経文を唱えるというのが何かその時よかった)

「草稿に一度書かれて消された言葉」に何か特別な意味があるような気がしてみたり

あるいは手帳に落書きされた「ふくろう」の絵などにニンマリし

昔の賢治の教え子が残した記録を読んでは

「いいなーいいなー」と

同じ時代に生まれなかったのを悔しがった。

 

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昨日、荒川の河川敷で草の上に座り

チャンゴと呼ばれる打楽器を鳴らし

あるいは銅鑼に合わせて輪を描き踊るように歩いた。

 

3月に三ノ輪で開催された祭りをきっかけに

ときどきチャンゴの練習に参加するようになったのだ。

昨日はフードバンクのメンバーも数人が合流した。

 

川から吹いてくる風に草の波が光る

その中で見知った顔、その日初めて出会う顔が

あちこちで互いに楽器を教えてもらったりしている。

 

 

夕暮れを過ぎからは、歴史や時事問題についての小さな勉強会も開かれた。

 

違いを知ることからしか理解は生まれない。

理解できないものを愛することはできない。

 

外に出ると

月が煌々と照っていた。

 

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昼間、風の中で太鼓を叩いているとき思ったのだ。

 

すきとおった風とぎらぎらひかる草の波。

そのなかでいっしょになったたくさんのひとたち

いつかみんな

むかし風のなつかしい青い幻燈のように

思い返す日がくるだろう。

 

*ポラーノの広場勝手に編集