ちくちく爆弾と蜂

小学校時代

塾通いをしていた私には

誰にも内緒のお気に入りの道があった。

それはバス通りから一本奥に入った

小さな田園風景のような空間だった。

 

 

秋になるとよく

「ちくちく爆弾」と呼んだイガイガの実をポケットに忍ばせ

黒板に向かう先生の背中に命中させたりしていた。

そして中学受験に失敗した。

あたり前である。

 

人生で初めて「あなたはダメー」と選別された経験となったが

ショックはそれほど受けず

むしろ受験結果を見た帰り道に

母が気を使って「甘いモノでも食べたら」などと勧めてくるので

むしろ私の方が母の気遣いをどうしたものかと

困ったのを覚えている。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

今日、犬の散歩に出かけたら

青いちくちく爆弾もどきのような実を見つけた。

草の間には小さなタネのようなものや

生き物が沢山動いている。

犬は草をむしゃむしゃやっていた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

今朝、南相馬から

「おもやい通信」へ掲載するための

原稿が届いたばかりだった。

それはのどかな里山が

豊かに春の山菜を育み

それを楽しんだという

過去形になっていて

やりきれないだけでは収まらない

言葉には尽くせない

悲しい怒りのような感情をひきおこす。

 

 

自然の営み

青い草の波

 

 

巨大な利権は今日も世界を堂々と巡る。

個々の営み

生命のことは

よく目を凝らしていないと見えなくなる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

蜂が一ぴき飛んで行く

琥珀細工の春の器械

蒼い眼をしたすがるです

   (私のとこへあらはれたその蜂は

    ちゃんと抛物線の圖式にしたがひ

    さびしい未知へとんでいった)

チモシイの穂が青くたのしくゆれてゐる

それはたのしくゆれてゐるといったところで

荘厳ミサや雲環とおなじやうに

うれひや悲しみに對立するものではない

 

 

宮澤 賢治 「鈴谷平原」より