不自由と洗濯

「あなたの好きなのを選んで」

こうした場面・機会をつくる。

 

それはセルフケアの時間であったり

作業や小さなクラブ活動など

その都度だ。

 

切迫した状況をくぐりぬけるというのは

選択の余地を与えられず

あるいは

自らの意思で何かを選び取る気力さえ

奪ってしまうものだ。

 

などとやっているものの

己はどうだろう?と考える。

 

常に限られた条件の中で

何かを選び

そこで今できることをやっていくことの繰り返しかもしれない。

 

諦めるのとも違う

それは現実に生きるための手法だったりする。

 

今朝、家族の一人が入院をした。

とうとう介護によって

生活そのものを変えざるを得ない時期が

やってきたということだろうか。

 

これはなかなか重たい問題だ。

 

買い物帰りに考える。

してみると人間は生まれてから死ぬまでの間

自由に選び取り

実際に行動できる時間や機会というのは

それほど多くないのか知れない。

 

「洗濯の自由」

いつだったか雑貨屋に置かれた物干しに

手書きのカードが添えられていたっけ。

 

たまった洗濯物のように

思考が重くなる。